東京地方裁判所 昭和25年(モ)613号 判決
申立人訴訟代理人は、被申立人申立人間の東京地方裁判所昭和二十五年(ヨ)第二七九号不動産仮処分命令申請事件について、昭和二十五年二月三日同裁判所がなした仮処分決定は申立人が保証を立てることを條件として、これを取消す旨の判決と仮執行の宣言とを求め、その申立の理由として次のように述べた。
被申立人は別紙目録<省略>並に図面<省略>表示の土地について借地権を主張し、申立人を債務者として東京地方裁判所に仮処分命令の申請をなし、昭和二十五年二月三日同年(ヨ)第二七九号決定を以つて「債務者(申立人)の別紙目録並に図面表示の土地に対する占有を解いて債権者の委任した東京地方裁判所執行吏にその保管を命ずる。債務者は右土地に対する工事を中止し同地に建物を建築してはならない」旨の仮処分命令を得、同月六日右決定に基き執行した。
然し申立人は右仮処分命令の取消を求め得る特別の事情がある。即ち、第一に被申立人は本件土地を自ら使用せんとするものではない。そのことは被申立人が借地していた本件土地を含む百三坪八合全部を昭和二十三年十二月二十日申立外伊藤幸之助に賃料一カ月金二十二円の定めで轉貸して権利金二万五千円を受領し、伊藤はその地上の一隅に店舗兼住宅を建築し、これを使用していたことからいつて明白である。仮に被申立人が本件土地に自ら建物を建築して土地を使用するとしても、被申立人がその肩書地に木造ルーフイング葺平家一棟十三坪の居宅を所有し、これに居住しているので何ら自らの住宅を必要としないのであるから、本件土地に建築する家屋は他に賃貸して賃料を得る目的であることは明かである。従つていずれにしても被申立人が本件仮処分によつて保全せんとする権利はたといこれを行使することができなくなつたとしても因つて被申立人の蒙る損害は権利金又は賃料を收得できないという損害に過ぎないから、結局においては、金銭的補償を得るによつて終局の目的を達することができるものであり、しかもその損害は実に僅少のものである。
これに引換え本件仮処分により申立人の蒙る損害は極めて甚大である。申立人は東京工業大学の文部教官の職にある者であるが、その俸給を以つてしては家族四人の生活を支えるに十分でないところから、本件土地において母及び妻に呉服商を営ませその利益を以つて生活費の一助に当てる目的で昭和二十五年一月本件土地を申立外伊藤幸之助より買受け、その地上に店舗兼住宅の建築をなす計画で同月二十八日建築許可をうけると同時に申立外吉川正次との間にその建築請負契約を締結しその請負代金二十五万円の内金八万円を即日支拂い更に同年二月十五日には残金の内金十万円の支拂を了しており、建築工事も着々進行していたところ、突如本件仮処分の執行をうけたのである。一方申立人は右土地買受及び建物建築の資金を捻出するため東京都目黒区高木町一丁目千四百五十三番地の当時の居住家屋を同年一月十日代金三十万円を以つて申立外持田知吉に賣渡し、同年三月十五日迄にこれを引渡す約束であつたため、既にその引渡を了し、己むを得ず妻の実家に一時寄寓し多大の不自由を忍んでいる。以上の次第で本件仮処分の執行が継続されて申立人がいつまでも本件土地に建物の建築ができないときは、前記請負契約上から申立人に生ずる損害は莫大であり、母及び妻をして経営せしめる呉服商の営業もできないのみならず、住居そのものにも全く困窮する状態である。
よつて保証を立てることの條件の下に本件仮処分決定の取消を求めるため本件申立に及んだ次第である。
<立証省略>
被申立人訴訟代理人は主文第一項同旨の判決を求め、答弁として次のように主張した。
被申立人が申立人の主張するように申立人を債務者として東京地方裁判所に仮処分決定を得てこれに基き執行したことは認める、また、申立人が右仮処分決定の取消を求める特別の事情があるとして主張する事実については、被申立人が申立人主張の借地百余坪のうち七坪を申立外伊藤幸之助に轉貸したことはあるが、その借地全部を同人に轉貸したことはなく、また被申立人が肩書地に申立人の主張するような家屋を所有しこれに居住していることは認めるが、これは仮の住家であり、その他の申立人の主張事実はすべてこれを爭う。殊に申立人は建物の建築工事は着々進行していたと主張するが申立人は本件土地に大谷石を僅か運んだ程度で未だ建物の建築工事に着手していない。
抑々被申立人の先々代松本金藏は明治四十年より本件土地を含む百三坪八合四勺の土地を申立外宇田川仁の先々代久五郎より賃借して、その地上に建坪九十六坪三階建の店舗兼住宅を所有し、その後それぞれ順次家督相続により右賃貸借契約は被申立人と宇田川仁との間に承継されて來たところ、右家屋は戰災により滅失した。そうしてその家屋には二十坪の地下室があつたが、これはそのまゝ残つているので被申立人は現在六十万円の價値のあるこの地下室を利用して、元のように家屋を建築する計画であつて既にその設計もできているが、この家屋一方において右罹災建物の一部の賃借人であつた者にも使用せしめねばならない立場にあるが同時に大部分は自己の居住に当てることが主たる目的である。被申立人が建築せんとする右家屋の敷地の一部たる本件土地に、申立人が前述の地下室を埋没して建物を建築することになれば被申立人の予定する家屋建築の計画は全く実現不可能になつてそのため被申立人の被る物質的損害は莫大であるのみならず、古くより居住する土地と右の地下室を失うことは被申立人にとつて金銭に見積られない精神的大打撃を被るのであつて、被申立人が本件仮処分によつて保全せんとする権利は単なる金銭的補償を得るによつて目的を達し得るものではない。
一方申立人は伊藤幸之助から本件土地を買受けるに際しては、本件土地には前述の地下室の一部もあるくらいであるから、被申立人に借地権があるかどうかを充分に調査すべきであるにも拘らず、あまり、その点について確かめずに買受けたことは甚だ軽卒というべきである。殊に伊藤は申立人に本件土地を譲渡するに際し若し、被申立人が借地権を主張して申立人が家屋の建築のできないときは一切の損害を引き受けると約したということであつて、申立人は家屋の建築にかゝろうとすれば被申立人よりこれを中止せしめるため仮処分申請のなされるであらうことは充分予想し得た筈である。であるからそのために生ずることあるべき損害は伊藤に対しその賠償を請求すべきであつて、その損害が大きいからといつて本件仮処分命令の取消を求めるのは全く不当である。<立証省略>
三、理 由
被申立人が別紙目録並に図面表示の土地について借地権を主張して、申立人を債務者として東京地方裁判所に仮処分命令の申請をなし、昭和二十五年二月三日申立人の主張するような仮処分決定を得、同月六日これに基いて執行したことは当事者間に爭がない。
よつて申立人の特別事情の存在についての主張について判断する。
申立人は本件土地は被申立人が自らこれを使用せんとするものではないと主張するから先づこの点について考えるに、被申立人が借地していた本件土地を含む百三坪余の土地の一部七坪を昭和二十三年十二月二十日頃申立外伊藤幸之助に轉貸したことは被申立人の認めるところであるが、その全部を同人に轉貸したとの申立人の主張についてはその主張に副ふ甲第一号証の記載は証人小川一学の証言に照らし信用し難く、他にそのことを疎明する資料はない。そうして、証人小川一学の証言、同証言によつて成立の認められる乙第一乃至第三号証、同第十九号証、同第二十号証の一、二、同第二十七号証の二と昭和二十五年二月七日撮影の本件現場の写眞であることに爭のない乙第二十二号証と証人白川靖の証言を綜合すれば、被申立人は申立外宇田川仁の先代宇田川常太郎より本件土地を含む百坪余の土地を賃借して同地上に、白川靖、小川い志等に賃貸していた四戸建三階延坪九十六坪の店舗兼住宅と、自己居住の二階建家屋とを所有していたところ、右家屋二棟は昭和二十年五月二十三日の空襲により燒失したこと、右二棟の燒失家屋の下には連絡した二十数坪の地下室があつてそのコンクリートの外壁は燒残つたこと、その後被申立人は右地上に右地下室の外壁を利用して自己の居住並びに右罹災家屋の元賃借人等に賃貸する目的で建坪五十一坪余二階四十八坪余の店舗兼住宅の建築を計画し既に昭和二十四年七月にはその設計書を作成の上建築許可申請の準備をしていたのであるが地主である宇田川の承諾印が得られないし、また建築資金の都合もあつたのでそのままになつていたことが疎明される。尤も被申立人は肩書地に申立人主張の家屋を所有し現にこれに居住していることは被申立人の認めるところであるが、証人小川一学の証言及び前記乙第二十二号証によれば、これは全くバラツクの仮住居であることが判り、また前記の如く被申立人は右百坪余の土地のうち七坪を伊藤に轉貸したことは被申立人の認めるところであり、小川証人の証言によればそれは元小川い志の賃借家屋の敷地に相当する部分であつて右の新築予定の家屋の敷地の一部にも相当することが認められるが、前記認定の事実及び弁論の全趣旨によれば被申立人はそのために右の建築計画を全然抛棄することなく設計の一部変更してでもその計画を進め、その目的のため本件土地を自ら使用する意向であろうことは推認するに難くない。
次に申立人は仮に被申立人が本件土地に自ら建物を建築してこの土地を使用するとしてもそれはその建物を他に賃貸して賃料を得る目的であると主張する。なる程被申立人が本件土地を含む百余坪の土地に建築せんとする家屋は燒失家屋の賃借人にもその一部を賃貸する目的であるが、同時に残余の部分には被申立人が自らも居住する目的であることは前記認定の通りであつて、前記乙第二十号証の一、二、同第二十二号証の証人小川の証言によると、前記燒残りの地下室の一部は本件土地内に入つている関係上、被申立人が自ら居住する部分の敷地が本件土地に該当するかどうかは兎も角としても、若しも申立人が本件土地に建物を建築してその部分に被申立人の建築ができなくなると被申立人の前記家屋建築の計画は根本的に齟齬を來すであろうことは推察に難くないところであるのみならず被申立人は右家屋建築の上は、その一部を燒失前の家屋借家人である白川靖等に賃貸を約しているのに、これを履行できない結果或はこれら旧借家人から損害賠償の請求をうけるおそれもなしとしない、ということ及び、被申立人はその父金藏の時代より本件土地を含む百余坪を賃借し、罹災当時迄その地上の前記家屋に居住していたものである関係上この土地には特別の愛着心を持つていることがそれぞれ疎明せられる。本件仮処分の取消しにより申立人が本件土地上に家屋を建築しても、將來本案訴訟で敗訴すれば被申立人は申立人に対し該家屋の收去を求めることができる筋合であるけれども、一且建築された家屋を收去するということはこれによる国家経済上の損失ないし居住者の住居の喪失ということに対する配慮からその実行は現実の問題として著しく困難であり、ために被申立人としてもその收去を断念せざるを得ないような羽目にたち至ることも決して少くないことは裁判所に顕著な事実である。從つて本件仮処分が取消されるときは上に述べたような建築計画の齟齬や第三者に対する賠償によつて生ずる損害を被申立人が被るおそれは十分であり、しかもこのような損害の額を今から見積ることは事柄の性質上極めて困難である。その上更に右認定のように被申立人が本件土地を含む百余坪の土地に特別の愛着心を有することも考え合わせると、本件土地について、被申立人がさきの仮処分によつて保全しようとする権利が、申立人の主張するように金銭的補償により終局の満足を得らるる質のものである、とは到底認められない。そこで更に本件仮処分による申立人側の損害について考えるに成立に爭のない甲第五及び第八号証、申立人本人の供述並に同供述により成立の認められる甲第七及び第九号証によれば申立人は東京工業大学の文部教官の職にある者であるが、その俸給を以つてしては家族四人の生活を支えるに極めて不十分であるところから、呉服商の経験のある母に呉服商を営ませ、また住居にも当てられる店舗兼住宅用家屋を建築する目的で、昭和二十五年一月十日頃申立外伊藤幸之助から本件土地を買受ける契約をなし、次で同月二十八日その地上に右家屋の建築許可をうけると同時に申立外吉川正次との間にその建築請負契約を締結し、既にその請負代金二十五万円のうち六万円の支拂を了し建築材料の用意もしてあつたところ本件仮処分の執行をうけてその建築ができなくなつたこと、而して申立人は右の土地買受及び建物建築の資金を捻出するため、同月十日申立人主張の居住家屋を金三十万円で申立外持田知吉に賣渡し同年三月十五日迄に引渡す約束であつたため、既にその引渡を了し己むを得ず、妻の実家である肩書地に一時寄寓し母は別の親戚に同居していることが疎明される。そうだとすれば本件仮処分の執行が継続されて申立人が本件土地に建物を建築することができないならば、その間に建築資材の腐朽等による損害を請負人に賠償せねばならずそのため多大の損害を被るであらうし、予定の通り母親に呉服商を営ませてその利益を生活費の一部にあてることができずに相当生活に困窮するであらうことや、更に自己の住居そのものにも多大の不便と苦痛を感じるであらうことも容易に想像せられる。
然しながら、かような申立人の損害も前に認定したところの本件仮処分の取消による被申立人の損害に比較するときはいづれを重しとも判定しかねる程度のものであつて、申立人主張のように、申立人の損害の方がきわだつて大きいものとは思われない。
以上認定したところによつて申立人が本件仮処分命令の取消を求め得る特別の事情があるとは到底認め難い。よつて申立人の申立を却下し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十五條、第八十九條を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 岸上康夫 山本実一 今村三郎)